こんにちは。
ワオのメルマガ担当の松本です。
五月も、もう下旬。
新緑の美しい季節です。
こういう季節は、室内にいるのがもったいない気がしますね。
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さて、すでにご存じの方も多いかと思いますが、5月31日(金)から6月2日(日)
までの3日間、エルガーラホールギャラリー(福岡・天神)にて、
『斉藤和~桃山絵画からの伝言・美しき日本画展』を開催致します。
それに先駆けて、桃山美術とは何だったのか、その当時活躍していた
画家の紹介とともに、ご案内して行こうと思います。
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第三回は、桃山美術の謎の絵師『俵屋宗達』です。
早速ですが、みなさんご存じの『風神雷神図屏風』(建仁寺蔵)。
あのちょっと間の抜けた風神と雷神が対峙している絵ですが、実は、署名もなければ
落款もないことをご存じでしょうか?
つまり、本当のところ誰が描いたのかわからないが、おそらく、いや確実に、
宗達の描いたものであろうという作品なのです。
しかしなぜ宗達は、署名も落款も捺さなかったのでしょうか?
ちなみにこの宗達の『風神雷神図屏風』は、およそ一世紀後に尾形光琳が写し、
さらに一世紀後に光琳が写したものを酒井抱一が写しています。
まるでリレーのバトンのように受け継がれている不思議な作品なのです。
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さて、謎はそれだけではありません。
生没年もわかっていません。
いつ生まれていつ死んだのか記録が残っていないのです。
そう聞くと、当時は無名の絵師だったのかと勘繰りたくもなりなすが、
先述の『風神雷神図屏風』をはじめ京都養源院の『松図』など
数々の名作を世に送り出していたことを考えると、そういうわけでもなかった
はずです。
ちなみに事歴もほとんど残っていませんが、おおよそ、次のようなことはわかって
います。
京都の町衆の家に生まれ、やがて『俵屋』の屋号で絵屋を営みます。
その絵屋は、扇で有名だったようです。
公家や文化人との交友は確認されています。
中でも当時一流の文化人であった本阿弥光悦との交友と、
二人の合作である画巻形式で制作された金銀泥絵(きんぎんでいえ)は有名です。
これは、本阿弥光悦が和歌を書き、その下絵を俵屋宗達が描くというもの
でした。
宗達は光悦のこの書に対し、鶴の絵を何羽も描いているのですが、
そのリズムの作り方といい間の取り方といい、まるで楽譜でも見ているような
気持ちにさせられます。
今風にいえば、アーティスト同士のコラボレーションということになります。
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ところで、『たらし込み』という絵画の技法をどこかで耳にしたことはありませんか?
実は、宗達が極限まで追求したことで知られる技法ですが、これは、画面にまず
薄い墨を下塗りし、乾かないうちに濃い墨をぽとんと垂らす技法です。
そうすることによって、紙の上ににじみが広がり、それが葉っぱに見えたり、
山岳風景に見えたり、様々な視覚的な効果を生み出します。
時々、枝葉の間が人の顔に見えたり、雲が何か別の形に見えることはありませんか?
その人間の目の特性を活かして生み出された技法が『たらし込み』という技法です。
この技法は、主に琳派の画家たちに継承されて行くことになります。
・・・・俵屋宗達とは何者だったのか。
この問いに対する答えは最早、作品を通してしか知ることが出来ません。
しかし、その生き方にどこか飄々としたものを感じるのは私だけでしょうか。
狩野永徳や長谷川等伯のような野心や功名心よりも、絵を描くことを
ただ純粋に楽しんでいた。
そんなふうに感じられるのです。
もちろん、絵屋を営んでいたわけですから、商人として、絵を商売道具として
客観的に見ていたということも言えると思います。
しかしその制作態度が、画壇という重苦しい縛りから解放された自由奔放な
アートを生み出す原動力となっていたとも言えるのではないでしょうか。
そしてその自由さが、江戸の絵師、尾形光琳へと引き継がれ、やがて琳派という
大きな潮流となるわけですから、やはり俵屋宗達という人は日本の絵画史において
重要な役割を演じていたことは間違いありません。
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さて、狩野永徳、長谷川等伯、俵屋宗達という桃山絵画を代表する絵師三人を駆け足
で見てきましたが、みなさんはどう思われましたか?
浮彫になったものの一つは、日本画の持つ装飾性ではないでしょうか。
装飾性と聞くと、見た目のみに固執した底の浅いアートだと思われがちです。
事実、海外ではそのような評価をされることもあります。
しかし、その底流にあるものは、単にデザイン性のみを追求したものというよりも
むしろ横溢する命そのものだった気がします。
その証拠に、日本画は、西洋画のような左右対称のシンメトリックな構図を
ある種、無視して描いているところがあります。
これは、日本美術の原点でもある縄文土器にも見られる、日本独自のものです。
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では、現代の桃山絵師でもある斉藤和は、
これまで振り返った桃山絵師たちの何を引き継ぎ、
何を継承しようとしているのでしょうか。
その答えは、ついに来週に迫った『斉藤和~桃山絵画からの伝言・美しき日本画展』
で明らかになることでしょう。
次号メルマガでは、ついに斉藤和の芸術にスポットをあて、ご案内していくことにな
ります。
ぜひとも楽しみにお待ち下さい。