おはようございます。
ワオのメルマガ担当の松本です。
先日、博多駅にクリスマスツリーの飾りつけが行われました。
毎年、この時期に飾りつけを目の当たりにすると、
「え?!もう年末なの・・・?」
と軽いショックを覚えます。
お仕事をされている方は、みなさん
同じような感覚を抱かれるのではないでしょうか。
光陰矢の如し。
時間はあっという間に過ぎ去って行きます。
アートの世界では「普遍的」という言葉が大事にされます。
(もちろん、人によっては否定する人もいますが)
普遍的という言葉は、「今はOK、でも100年後はNO」、
という場合には使われません。
時代が変わっても、アートとしての価値を失わない、(それは、単に金銭的な
話だけではなく)流行に左右されず、時間にも負けない逞しいアートのことです。
そういうアートをこれからもみなさんにご紹介しようという気持ちにもさせられる
のも、やはりこの時期です。
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さて、今号も引き続き、日本美術について知っていこうの第二回目です。
今号では『弥生時代』についてお話しします。
弥生時代の美術は、縄文時代の荒々しい美術とは全く正反対の方向へと
進んで行くこととなります。
この変化を引き起こした要因はどこにあるのでしょう。
縄文時代が1万年以上続いたのにくらべ、弥生時代は紀元前後の600年間と割合短命です。
しかしこの時代、主として朝鮮半島から渡来人により新しい文化が伝えられます。
文化の混血の始まりです。
この文化の混血が、弥生美術という新たな型の創出に一役買うこととなるのです。
弥生時代の美術は、装飾を控えめにして、実用性を重んじ、全体と部分との均衡を
はかる弥生土器の美意識とは対照的です。
日本人の美意識の直接の原型となるものがこの時期に形作られたと言って良いと
思います。
ちなみに銅鐸について面白い話があります。
銅鐸は、弥生時代を代表する祭器です。
この銅鐸に描かれたモチーフにはある動物が多く登場します。
それは「鹿」です。
弥生人にとって鹿は神から遣わされた肥沃な土地の象徴なのだそうです。
釈迦の説法を初めて聞いた動物も鹿と言われており、
鹿とは神聖な生き物として扱われることが多いのだと思われます。
弥生時代は、荒々しく原始的な縄文時代に比べ、何となく地味な印象を
受けます。
しかし日本美術の特徴である均整の取れた装飾性の原点は、
まさしくこの時代にあるのであり、時を経た現代においてもその影響は
隠しようがないのです。
しかし、弥生美術に日本美術の原点あり、というと、縄文は消えたのかと
思われるかもしれませんが、そうではありません。
あの荒々しい野放図な自然のエネルギーは今も日本美術の中に内在して
います。
「ここは弥生的だな」「この部分は縄文的だ」などと原始の美術を下敷きに
今の日本の美術を眺めてみても面白いのかもしれません。
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さて、もう12月です。
師走の言葉通り、怒涛のように過ぎ去って行く1か月でもあります。
2019年に置き忘れたものがないよう、気を引き締めて
このひと月を乗り切りたいと思います。
それでは、また次号でお会いしましょう。
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