《映画の話》
私の人生において、“映画”というものが齎した恩恵は計り知れません。
多くの夢や希望を、銀幕を通して人々に与えてきた総合芸術としての“映画”。
娯楽? 娯楽という言葉だけでは映画の本質は形容出来ない。
人間が人生を生きていくために必要な、憧れや目標、様々な啓蒙、喜びや感動、驚きや共感、そういったものが視聴覚に迫ってくる。
あんな人になりたい、あんな人に合いたい、あんな所へ行ってみたい、あんなことをしてみたい、あんなことが実現したらいいな、どんどん心が虜になっていく。
何故、これほどまでに多くの人々が“映画”を愛してきたのか?
それはきっと、嫌な事や悲しいことが多い人の世にあって、“もう暫く人間を信じてみよう、人間もなかなか捨てたもんじゃないぞ”と思わせてくれるから、人間の持っている可能性や素晴らしさを教えてくれるからだろうと思うのです。
“映画”は、人の心の澱を浄化してくれる(カタルシス)浄化装置。
役者の表情、セリフの一つ一つが、映像の美しさと流れてくるメロデイーが一体となって、アッという間に心と魂を無防備にさせる。
鳥肌が立つ、瞼が熱くなる。
今でもハッキリ自覚していますが、私の脳の半分以上は、今まで観てきた“映画”で成り立っています。
ビットリオ・デシーカ、フェディリコ・フェリーニ、ジュゼッペ・トルナトーレ、デヴィッド・リーン、フランシス・F・コッポラ、黒澤 明、山田洋二、僕の大好きな映画監督たちです。
映画の上映時間は2時間程度ですが、そこには様々な人生が有り、過去が有り未来が有り、絶望が有り希望が有り、怒りが有り悲しみが有り、醜さが有り美しさが有り、ロマンが有り、ファンタジーが有るのです。
そしてそれらを、私たちは映画を観ることで全て疑似体験出来るのです。
そしてそれを、生きる意欲やエネルギーに換えられる。
だから“映画”は素晴らしい。
文芸・絵画・音楽、それらが各々逆立ちしても適わない総合芸術としての威力。
私見ですが、私は良い映画の5大要素は、『脚本』『監督』『カメラワーク』『役者=演技力』『音楽』の5つであると考えます。
これらが組み合わさって、麻薬のように人心を虜にしてしまうのです。
考えてみてください、2時間上映するための完成フィルムの制作にかかった予算、関わった人数、完成するまでの時間、どれをとっても文芸や音楽や絵画の比ではありません。
また、テクノロジーの進歩の恩恵を一番多く受けて発展進化したのも、映像と音響技術でしょう。
ただ今の映画監督と俳優はいただけません。
TVの功罪の所為でしょうか、監督の視野が狭い。
文化祭の学生がやるレベル。
役者もダメ。『存在感』という絶対的な演技力を持った俳優が居ない。
個性がないのを自覚しているから、無理やり個性化しようと必死。
見てられません。
もっと、命懸けでエンターテイメントしないとダメです。
TVなんか相手にしてたらダメになるに決まってます。
まあ、監督も役者も勉強不足が甚だしいと思いますよ。
ただ映画の世界へのあこがれだけでやっている。
使命感が薄いのです。
もっともっと世界の映画、過去の映画を目が腐るほど観たら良い。
きっと“映画の魅力”が判るハズ。
様々な特殊効果や火薬をふんだんに使ったSFモノや、大スペクタクルも結構。
でも驚く事と感動する事は違うから。
やがて遊園地のアトラクションのような作品は飽きられてしまう。
やはり、しっかりした脚本がないとダメ。
人は“感動する動物”。
感動するから苦難の人生を肯定的に生きられる。
そう思いますよ。
感動の無い、驚きや物珍しさだけの作品は“もう一度観よう”とは思わないでしょ。
人を感動させることを商売としてきた歴史が、日本は欧米に比べると古くない。
そして、民主主義の日も浅い。
だからもっともっと、映画監督も俳優も吐き気をもよおすくらい人間というものを研究し、感動のメカニズムを学習しないといけない。
音楽や文芸や絵画が世界レベルなのに、邦画は未だに黒澤 明くらいしか知られてない。
世界の北野は? 話にならない。
勘違い野郎の一人です。
ミュージシャンやお笑い芸人が、何を勘違いして血迷ったのか、すぐ映画を作りたがる、そして大失敗する。
お笑いやコンサートなんかとは、“感動のメカニズム”も“感動のプロセス”も違うのですから、成功するワケがないのです。
知名度が出てきて財力を持つと、すぐ“映画”を作ろうとする。
ただの“示威活動”です。
最近、日本海に出没している“中国の空母”に似ていますね。
『どうだ、俺、凄いだろう! とても才能があるだろう! 』こういう考えが根底に有っては、良い映画は作れません。
アメリカのロバート・レッドフォードやクリント・イーストウッドを見習ってほしいですね。
浅はかというか、甘いというか。
ダウンタウンの松本なんかは、吉本興業が尻拭いするからいいけど。
もっとたくさんの映画を観て勉強しないと、良い監督も良い役者も日本では育ちません。
カンヌとかで煽てられているようじゃダメだということです。
ココで、勘違い野郎の映画監督たちに一言。
カンヌで賞が貰えるのは、フランスを含むヨーロッパが日本の美術や芸術・文化に敬愛の念を持ち、黒澤映画をリスペクトしているから、日本から来た作品や監督にお土産のように賞をくれているに過ぎないのです。
勘違いするなよ!
役者は渡辺 謙や真田広之などが頑張っていますが、女優はイマイチ。
演技力の有る邦画の女優はいたんだけど、海外の作品に出演することをアテンドする人材がいなかった。
また、国内の映画会社の各社は、俳優を拘束して利権を確保することに躍起で、他の映画会社への出演はもとより、海外進出などは200%有り得ない事だったに違いない。
そんな映画が全盛期の昭和において、戦後の鬱屈した日本国民の胸が高鳴った良い俳優はたくさんいたけど、その中でも圧倒的な存在感のあった今は亡き名優は、時代劇を始とする日本映画界を支えた片岡千恵蔵、市川歌右衛門、三船敏郎、石原裕次郎、勝新太郎、高倉健など。
“存在感”という演技力が群を抜いていた。
三船敏郎は黒澤明と組んだ時の演技力は神がかっていたし、勝 新太郎はロバート・デ・ニーロと同レベルの演技力を持っていた。
そして、その真似は誰にも出来ない。
もう一つ、声を大にして言いたいのは“昭和の映画女優”は本当に美しかったという事! 『スター』というのは泥中の蓮の例え通り、そこだけ、その存在が輝いているのです。
そのような人たちが『スター』と呼ばれたのです。
顔やスタイルだけが良いのではなく、持っている雰囲気や気品も群を抜いていたのです。
そして忘れちゃいけないのは、“名脇役の存在”。
数えればきりがないので、ココではかつ愛しますが、邦画でも洋画でも、必ず脇役の名優がいました。
彼らの存在が無ければ名画・名作とならなかったと言っても決して過言はないハズです。
因みに僕は、悪役の専門の名脇役『故・上田吉次郎』が大好きでした。
“てめぇら、かまうこたぁねぇ! たたっ切っちまえ!”この名台詞が思い出されます。
更に私事で恐縮ですが、私の好きな洋画の俳優は、ロバート・デ・ニーロ、ショーン・コネリー、アル・パチーノ、スティーヴ・マックイーン、アンソニー・クイン、ピーター・オトゥール、ピーター・セラーズ、ピーター・フォーク、ジャン・ポール・ベルモンド、ジャン・ギャバン、ロバート・デュボウル、ホアキン・フェニックス、ヴィゴ・モーテンセン、オマール・シー・・・
女優ではフランソワーズ・アルヌール、オードリー・ヘプバーン、ジュリー・アンドリュース、モニカ・ヴェルッチ、イレーネ・パパス・・・・本当に懐かしい限りです。
大好きな作品はたくさん在りすぎて、ここでは紹介しきれません。
そうそう、忘れちゃいけない、良き映画は必ず素晴らしい音楽が付き物ですね。
エンニオ・モリコーネ、エルマー・バーンスタイン、ジョン・ウィリアムス、ハンス・ジマー、モーリス・ジャアール、ジュリー・ゴールドスミス、ミッシェル・ルグラン、デイミトリー・ティオムキン、アルフレッド・ニューマン、フランシス・レイ、バート・バカラック、ニーノ・ロータ、伊福部 昭等など、本当に胸を射貫かれるような映画音楽の名手たち。
オープニングで曲がかかったり、クライマックスでかかったり、私たちの涙腺を緩ませる効果は絶大でした。
今は誰もが一度は耳にしたことがあるスタンダードナンバーになっている名曲もありますよね。
まるで、その1シーンの為に作られたような珠玉のメロディ。
こうやって、沢山の才能が集まり切磋琢磨して、多くの人が感動し、興奮し、共感して涙するようなエンターテイメントを作り上げていくのです。
本当に敵いません。
組織ぐるみの感動生産事業ですから。
アーチスト個人は、ただのスタッフでしかない。
しかし現在では、劇場型の上演が岐路に立たされています。
画質・音質共に日進月歩の昨今、高いチケット代を払って映画館で映画を観るより、家庭でDVDを観た方が良いと考える人が増えているようです。
更に、ネットフリックスのように様々なジャンルの映画を月額低料金で観放題いうシステムも世界中で支持されてます。
シネコンの維持費の捻出と管理の難しさが、『映画館』という存在を危うくしております。
映画の制作サイドも、何処で上映し、誰を対象として制作するのか?
“映画というビジネス”が、大きな曲がり角に来ているようです。
今後、時代の要請として“Movie theater”としての映画館の文化は廃れて行くでしょうが、良い映画作品は作り続けてもらいたいですね。そして多くの子供たちが、若者が、そこから十分な養分を“感動”と共に補給して、瞳を輝かせて新しい時代の素敵な文化を創ってもらいたいですね。
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【NEWS】
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