《“愚直さ”が絶滅の危機》

安倍元首相が凶弾に倒れた。
暗殺である。
政治の思想・信条は様々あっても、民主主義の世であるからして“発言”は許された権利である。
自分と意見や思想の違う者を暴力で封じ込める・抹殺する事は許されたことではない。
いや、なんか違うなぁ。
民主主義のお手本のアメリカにおいても暗殺は多かった。
しかも国家権力である
CIAやFBI絡みの事件である。
『自由』という権利は、守る側、破る側、双方にあるので厄介だ。
今回の安倍さんの暗殺は、政敵からではなく個人的恨みに起因するものだろうが、私は
TVや新聞・雑誌などのメディアの反応にとても違和感があって、“日本人の悪い癖”を見せつけられた気がするのです。
だからものすごく不愉快で、イヤ~な気分で過ごしております。

喉元過ぎればという事勿れ主義、長いモノには巻かれろといった、お上に盲従する従属根性、優柔不断さ、曖昧さ。
仏になった者を鞭打つな

死者には寛容に見えるが実は天皇家と同じで、“穢れ”“祟り”“呪い”が恐ろしいだけで、弔いはそれらを回避するために懇ろに行うのだと思いますよ。

これが朝鮮半島や中国が嫌悪する“日本人の悪い癖”であり、見事なまでの遊泳術なのであります。

多神教、神仏習合しかり。
V番組で、安倍さんの政治手腕や功績、そして誰からも好かれた人望の大きさや人柄を、涙しながら褒め称え、死を惜しむ場面を見ました。
生前は反安倍と言われた人達までが、安倍さんが亡くなられた事を悼んでいました。
国民の多くも、いつの間にか安倍さんは
“素晴らしい政治家”だったという論調を支持するようになりました。
国葬を行う予定らしいです。 

ちょっと待ってくれ! 国民に問いたい。

[森友問題][加計学園問題][桜を見る会]で、安倍さんは逮捕を免れましたが本当に悪いことはしていないのでしょうか?
全て秘書の責任で終着しましたが、国民は少しの疑念もないのですか?

それとも、苦労知らずのボンボン育ちは好感が持ちやすいのでしょうか?

漠然とした評価をしてお茶を濁すのではなく、明快に功罪を見極めることが大切だと思うのです。

例えば『アベノミクス』、皆さんは本当に日本経済がコレで救われたと思っているのですか?  

ひょっとして、それすらも訳が分からなくなっている?
大企業や海外への輸出は利益を得て、潤ったかもしれません。
しかしながら中小企業はこの
20年間毎年、1万社近くの廃業や倒産を余儀なくされております。
会社がそうなのですから、個人の所得が上がるわけがないのです。

増えたのは頭の悪い、産業の事や経済の事が全く解らないバカ文科省が面白半分に産み出した意味のない休日や祭日だけです。
『アベノミクス』ではなく『アベノミス』なのです。
コロナの蔓延により、さらに拍車がかかりましたよね。
更に判りやすく言いましょう。
日本の大卒給与は
20万円台、20年前から変わってないのですよ。
スイスなどは
70万円台。
この違いは何ですか。 

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団塊の世代がバブルを起こし、高い退職金を貰って、現在は枯渇している年金で豊かに暮らしている中、若者は車も持てませんし、家も買えません。
政治家は
“未来”の為に何をしたのか?によって評価されるべきです。
“未来”とは子供たちや若者の明日です。
これじゃぁ、現代の若者がかわいそうですよ。

安倍さん一人に、戦後の政治の責任を押し付ける気は毛頭有りません。
安保や憲法の改正など、日和見主義の野党が、手を下さない政治課題に積極的に取り組んだことは認めます。
ただ何でもかんでも“哀れだ”“かわいそうだ”が先行して、美談に仕上げていく手法は歪曲された歴史の
“古事記”“日本書紀”を見るようで吐き気がするのです。
特に
『平成』『令和』は、だんだん酷くなってます。

特に私が頭に来るのは、安っぽい見え透いた親切心や優しさ。
文科省や教育委員会の常套句のように人間は皆平等、差別や虐めをなくそう

ハッキリ言います。
人間が存在する以上、差別や虐めは地球上から無くなりません。
教育の場で、差別をする心が如何に空しく寂しいことか、虐める心が如何に醜いことかを思い知らせることは絶対大事なことですが、標語のようにお題目で終始しても無力で無意味です。
口や態度に出さないだけで、腹の中で思っていること自体が問題なのですから。

差別や虐めにあった時の戦い方を教えること、正気の保ち方を教える事が教育です。

ここで更に私が危機感を持っているのが、失われつつある『愚直さ』に対する評価です。

『愚直』とは、臨機応変の才がない、正直一途な気の利かない愚か者という意味ですが、費用対効果のように計算された親切心や“おためごかし”を使いこなす連中よりは『不器用な正直者』の方が親しみを持てます。
もっともっと判り易く言えば、時代の流れに迎合出来ずにいる
“高倉 健”のような不器用で寡黙で無骨な男。
そんな
『愚直さ』が発する裏表のない優しさ、代償を求めない思いやり、それこそが一番尊いものだと私は信じております。
いつの時代も、そんな優しさが人間の弱さを支え、人の心を救って来たのだと思います。 

『落語』は何故、時代が変わっても多くの支持を得ているのでしょうか?
談志に言わせれば
『人間の業の肯定』だからだ。と言います。
そもそも
“不完全で愚か者”であるという“業”を背負って生きている人間を肯定し、不幸を笑いに変えていく、そんな可笑しさや優しさや頼もしさを多くの人間が支持しているのです。
多くの人が
『落語』を愛す理由がココにあるのです。
今もなお日本人に愛されている映画
“男はつらいよ”のフーテンの寅。
渥美 清演ずるところの寅さんは、自分が一番哀れなのに弱い者や困っている人を見ると自分が損をしてまでも、ついついおせっかいをしてしまう愚か者。
監督の山田洋二が愛しているのは、愚直で愚か者の寅さんの人情であり、それに振り回されながらも寅さんを憐れみ支える心優しい人々の人情なのです。 

池波正太郎も『鬼平犯科帳』の中で、鬼の平蔵に言わせています。
“人間とは妙な生き物よ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。心を許し合うた友をだまして、その心を傷つけまいとする”

こうやって見てみると、掛け値のない優しさや寛容さは、『もののあわれ』から来ているように思われます。

調べると、[折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である]と書かれてます。
日本文化においての美意識や価値観に大きな影響を与えた思想ですが、これを
18世紀に考察した本居宣長によれば、『もののあわれ』を知ることこそが、人生を深く享受することにつながると指摘しています。

私は画商ですから、画商的に美術に置き換えて言わせていただくなら、天才・狩野芳崖の描いた名作『非母観音』の慈愛に満ちた表情も、『もののあわれ』の憐れみがもたらすものなのだと思います。

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この世に生まれし新しい命、その命を慈しみ、そして業を背負って艱難辛苦の世を生きる宿命を憐れむ、観音菩薩の慈しみと憐れみの慈愛の表情が、この最高傑作の肝であります。
岡倉天心をして、『未来永劫、この最高の芸術を超える芸術はきっと登場しないであろう』とまで言わせしめた奇跡の名画です。

皆さんも、一度ご高覧ください。
ミケランジェロやダビンチに匹敵する凄い芸術家が居たんですよ。

さて、話は長くなりましたが、対価を求めない愚直な思いやりや優しさを大事にしたい。
何でもかんでも計算されたモノばかりで終始してはダメだと思います。

我々と同じく不完全で愚かなものに、どれだけ情を移し慈しみの心を持てるか? そしてその愚かさ加減を笑いに変えたり、感動や共感に換えたり、美しさや喜びに換えたり出来るか?が、今を生きる我々人間の大きな課題であると思うのです。

『愚直さ』昭和にはいっぱいあったような気がするのは、私だけでしょうか? 

 

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