おはようございます。
ワオのメルマガ担当の松本です。

大変ご無沙汰しております。
コロナ禍の中、弊社も4月、5月は会社でのテレワークや在宅ワークで
平時できなかったことへの取り組みなどもあり、忙しくしておりました。
みなさま、どのようにお過ごしでしょうか?
ちなみに6月からは、通常通りの営業を再開しております。

最近、疫病退散の妖怪、「アマビエ」が、美術界でも話題をさらっています。

アマビエは、江戸後期の1846年、肥後の国に現れた半人半魚の妖怪です。
「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を
描いた絵を人々に早々に見せよ」と告げたといいます。この話は挿図付きで
瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられたといいます。

現在このアマビエを、たくさんのアーティストたちが独自の表現で描き続けていま
す。
アーティストたちも戦っているのです。
絵がそもそも祈りであることを考えれば、もしかしたら当然の現象なのかも
しれません。

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さて、『日本美術を知っていこう』が奈良時代までで止まっておりました。
久々にはなりますが、第6回「平安時代」について綴ります。

平安時代は、794年から1192年までの約400年間です。
この頃もまた、基本的にアートは仏教とともにあり、
特に空海が唐から持ち帰った宗教的表現は、絵画や彫刻のイメージを
一変させます。

+‥‥‥大和絵の登場+‥‥‥‥

ここで、日本の美術史の中で大きな出来事が起こります。
『大和絵』の登場です。
大和絵が成立するのは、9世紀半ば以降のことです。
その背景には、遣唐使が廃止されて大陸の文化の輸入が途絶えたことがあり、またそ

れと並行して、和風文化の成熟が進んだことがあります。たとえば漢字をもとに仮名
が発明され、その仮名を用いて和風の文章が書かれるようになります。和風の絵とし
て大和絵も、そうした和風文化の成熟の一環として成立したと考えることが出来ま
す。

では、大和絵とはどのようなものを言うのでしょう。
大和絵成立以前には、絵と言えば唐絵(からえ)のことをさしていました。
唐絵は、宋以降の中国画の技法に基づく絵画のことで、故事人物事物に主題をとった
ものであり、技法とは無関係のものです。
それに対し、日本列島における故事、人物、事物、風景を主題として描かれた
もの(概念)を大和絵と言います。
『源氏物語絵巻』などの絵巻物が代表的な大和絵です。

ちなみにこの大和絵では、洛中洛外図に代表されるように遠近法は使われておらず、
全てのモチーフがほぼ同じ大きさで描かれています。遠近法とは、視点を固定した描
き方のことです。大和絵は、様々な視点で作品を鑑賞できるように描かれています。
これは、世界にない表現であり、現代のテレビゲームのスーパーマリオの横スクロー
ルなどにも応用されています。
大和絵では、全ての登場人物が主役として見ることも出来ます。そういう意味では
、日本美術はそもそも参加型のアートであったと言えるのかもしれません。

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蒸し暑い、じめじめとした季節になりました。
いつも心の中で、『水分、塩分』と『気力』を失わないよう、
頑張らねば、と心がける日々です。
みなさんも、あまりご無理のないよう、そして工夫をこらし
楽しい日々をお過ごしください。