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皆様、コンニチハ!

コロナ禍の中、子供たちは夏休みが始まり、我が国は様々な問題・課題を残したままホスト国としてのオリンピックの開催がスタートいたしました。
ワクチンの接種が着々と進み、一刻も早くコロナが終息することを願うばかりです。
そんな中、私たちの不安や不満や憤りは、無責任な政治家や頼りない政府に向けられます。
でも本来の敵は目に見えないウイルス『コロナ』なのであります。
いつの時代も、このような感染病は人類が何百年もかかって築いてきたものを、ものの見事に打ち砕き破壊してしまいます。
そして恐怖、不安、猜疑心を煽り、最後は人の心も蝕んでいきます。

しかしながら、人類はそのすべてに最終的には勝利してきました。
100年前、死の病として世界中に猛威を振るった『コレラ』との戦いが良い例です。
最後に『コレラ』と戦った素晴らしい人物、警察官として神様になった人物の紹介で今回のブログを締めくくりたいと思います。
きっと皆さまの心に春風が吹き、“人間は素晴らしい!”と思えるエピソードです。

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明治27年、日本国内でコレラが猛威を振るい、感染者5万人、死者4万人を数えました。
日本政府は成すすべもなく、ただ警察官を感染地域に派遣するのみでした。
なにしろ当時の科学や医学のレベルですし、医療施設すら貧弱な有様ですから、警察官が人を励ましたり、隔離や避難を先導したり、消毒作業を行うくらいしかできなかったのだと思います。

こんな中、コレラの蔓延する村に派遣されたのが増田啓太郎 巡査でした。
増田巡査は、村人のために昼夜を惜しまず働き、人々を励まし続けていたそうですが、とうとうコレラに羅患してしまいます。
死の床で村人に『皆さん、安心してください。
コレラは私があの世に持ってまいります。』と言って亡くなりました。
享年27歳。以後、村には一人の感染者も出なかったそうです。
村人は後に、村の守り神として“増田神社”を建て増田巡査を祀ったそうです。

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佐賀県唐津市肥前町にある『増田神社』のお話でした。
コロナが終息したら、一度お参りに行こうと思っております。

 

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