《努力の交換率》
いよいよ本年度も7月を迎え、一年も後半戦にさしかかりましたね。
もうすぐ梅雨も明ける今の気候は、二十四節気で言うと“小暑”にあたります。
二十四節気とは古代中国で開発された一年間の気候の変化を15日刻みで細やかに移ろう季節を仕分けたものです。
4つに分けると“春夏秋冬”、12で分けると1~12月、24で分けると二十四節気となります。
春分・夏至・秋分・冬至などがそうです。
現代とは違い、当時の生活者たちが細やかな季節の移ろいを敏感に感じ、自然を受け入れながら大らかに生きていた名残を感じますね。
海の向こうでは、不愉快な出来事だと『ロシアでのワグネルの軍事クーデター未遂』、これは大嫌いなプーチンの話題になりますのでスルーします。
愉快な出来事は、やはり“大谷君”のメジャーリーグでの胸のすくような大大大活躍!です。
心からありがとう!を言いたい。
縁も所縁もない我々日本人を、とても誇らしく思わせてくれています。
ベースボールの地元アメリカ人でさえ、賞賛の嵐です。
彼が活躍すればするほど、彼の持つ晴天の清々しさと、まるで映画を観ているような努力と期待が見事に報われていく感動を覚えるのです。
日本のプロ野球選手の多くが憧れ、目標としてきた、あの大きなボールパークで、敵と味方の両方からスタンディングオベーションを受けている野球選手、そう、日本人の大谷選手です。
辛口評論家が多くいるメジャーリーグで、しかも人種的偏見が今でも横行するメディアの圧力やプレッシャーの中で、大谷選手の素晴らしさは敵も味方も虜にしてしまうところであります。
“愉快!痛快!弾ける白球!” オオタニ頑張れ、 万歳、万歳、万歳!
スミマセン、昭和気質のしつこさが、モロにはみ出してしまいました。
さて、ここからが本題。 史上初めての八冠を狙う、将棋界の新星・藤井聡汰や上記した大谷翔平は、どのように育成されてきたのでしょうか?(※敬称を略します) 現代を生きる我々の想像を遥かに超えた活躍をする二人が、如何にして誕生したのでしょうか?
勿論、ご両親の教育の努力の賜物であることには違いないのですが、努力をするには本人自身ですから。
辿り着いた私の答えは、『努力の交換率=エクスチェンジレート』が違うのだ!と言う結論です。
多くの人間は自分自身に甘く、過保護であります。
ですから自分が思う自分の評価は、多分にゲタを履いていて、2~3割増しになっています。
しかし他人様の評価は辛口で容赦がありません。
殆ど自分の判定とは乖離していて、2~3割減で評価されます。
結果として他人が見た自分の評価が、実は実像や実力値に一番近いと思われます。
他人のクールな自分への客観的評価、これを[人格]と言います。
2~3割増しと2~3割減、そんなに大きな差のようには思えませんが、何年も続くと致命的な失敗要因へと変容していきます。
非力な自分に過度の期待をして人生を生きることになり、目指したことは大抵実現出来ずに終わります。
その逆で、自分の中に厳しく冷徹な自分が居て、コイツがいつも2~3割減の評価を下すので、結果として通常人の1.5倍の量の練習量や、1.5倍の難度の課題を課せられてしまう。
そしてそれが“習慣化”されれば、こなして当たり前のルーティンワークになってしまう。
物凄い努力を、物凄いと思わずに日課としてやってしまうようになる。
結論、『努力の交換率』の違いは『希求水準』の高さを創り出す。
大谷翔平、そして藤井聡汰、この二人の“希求水準”は極めて高いが、それを達成・実現出来る実力と可能性も十分持ち合わせている。
ただ憧れたり、過信した夢を抱くのではなく、もっと根っこの『努力の交換率』を下げて(2~3割減)、謙虚に継続的な努力をしなければ、自分が求めた結果や結論には届かないのだ。
という事です。
次回は、再々“アート”のお話をさせていただきます。
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